【野生の旅】 ■富山 立山黒部を歩く3 →[立山黒部の湯]
= 9月24日:三日目 =
昨夜はたっぷり寝た。5時過ぎに起きだして仙人温泉の露天につかる。朝焼けの中、白馬槍ヶ岳方面を眺める。とても素敵。
5時45分に温泉小屋を出発する。十分リフレッシュできたので、昨日までの疲れは吹き飛んだ。今日もたくさん歩くぞ!
仙人岩屋のヒカリゴケを通り過ぎてしばらくすると道が悪くなる。ところどころに雪渓の残骸?が現れるので危なっかしい。ハシゴを使って高巻きしたり、嫌な感じの岩場を歩いたりする。
【注意】2004年9月当時、雲切新道は開通しておらず、仙人温泉から阿曽原温泉までは阿曽原峠を経由する旧登山道を歩きました。
そうこうするうちに阿曽原温泉に到着した。時計を見ると7時44分。仙人温泉から2時間程度の歩きだった。結構疲れた。
温泉小屋に立ち寄って入浴料を支払い、温泉に向かう。5分ほど下ると露天風呂があった。
河原まで下りて温泉湧出地点を少し探索するが見つからなかった。と言うか、この後の予定で頭が一杯でそれどころではなかったのだから、当たり前と言えば当り前だ。
適当なところで野湯探索を打ち切り、阿曽原温泉を出発することにする。ここからが今回の旅の本番だ。
黒部川を右手に水平歩道を進んでいく。阿曽原温泉から45分ほど歩くと「餓鬼谷出合」の看板に出会う。時間は9時過ぎ。本日のメインの野湯探索の始まりだ。
まずは水平歩道から黒部川に降り立つ必要がある。ザイルを持っていないので、下降ルートを慎重に探る。断崖絶壁なので一歩間違えればアウトだ。
休憩を兼ねて時間をかけて周辺の様子を確認する。比較的傾斜の緩い尾根があると思われる地点から下降を開始する。少し先は木々に覆われていて見えないのでゆっくりと進む。
帰りのルートを確保するために、時折目印を残していく。
何度かルートを修正しながら降りていくと、やがて黒部川が間近に見えるようになってきた。餓鬼谷出合の滝も見える。油断は禁物だが、どうやら黒部川に下降できそうだ。
10時43分、黒部川の左岸に無事降り立つ。黒部川の向こう岸では、餓鬼谷出合の滝が勢いよく流れ落ちている。かなり時間がかかったが第一関門突破だ。
黒部川の水流はそれなりにあるが渡渉できないほどの流れではない。通常、阿曽原温泉や仙人ダムから欅平までの区間は、黒部川の水量の7割くらいが餓鬼谷からのものらしい。流れの緩やかそうなポイントを慎重に選び、ゆっくりとした足取りで黒部川を渡渉する。
強烈な水圧を感じながらも危なげなく渡りきり、黒部川の右岸に到達する。これで第二関門突破だ。旅行前に懸念していた黒部川への下降と黒部川の渡渉に成功したのでホッとする。
さてここからは餓鬼谷だ。黒部川との出会いから1kmほど上ったところに湧出するという餓鬼谷の湯を目指すことになる。
まずは目の前にある餓鬼谷出合の滝を超えなければいけない。
餓鬼谷出合の滝を真下から眺める。事前情報では、左岸凹角から取り付いてブッシュ帯にはい上がり、滝上へトラバースするとのことだが、登れそうな気が全くしない。
試しに岩肌に取り付いてみるがツルツルすべるので、よじ登ることができない。何せ滝を乗り越えるための道具を全く持っていないので、直登するか、あるいはエスケープルートが見つからなければ、野湯探索はここでおしまいになる。必死になって滝の乗り越え方を考える。
滝の左岸だけでなく右岸にも取り付いてみるがやはりダメ。どこにも突破口は見つからない。時間だけが過ぎていく。
普段の野湯探索と異なり、何とかしてやろうという気力もあまり湧いてこない。立山から剣沢雪渓を超えて延々と歩き続けた疲れのためだろうか。
餓鬼谷出合の滝を越えることを、結局30分ほどで諦めてしまった。次来ることがあれば必要な装備を持参する必要がある。ただ、餓鬼谷はあまりにも遠い。おそらくその機会が訪れることはないだろう。
打ちひしがれた気分を抱えながら、黒部川を再び渡渉して水平歩道がある対岸に戻ろうとした。ところが、黒部川を渡渉中に足を滑らせ、流されてしまった。水流が強いことは理解していたが、少し前に渡渉を成功していることもあり油断してしまった。
黒部川を流されている最中の記憶は曖昧だ。天地が何度か逆になったことは覚えているし、時間の進み方がやけにスローだったような気がする。自然の怖さを実感した。
幸いにも少し流されただけで、大きな岩にぶつかり止まることができた。ところどころぶつけたが頭を打たなかった。右足親指の爪がベロリと剥がれたが、何とか歩くことはできそうだ。メガネがなくなっていることに気付くが、助かったので良しとする。
ずぶ濡れになったので衣服を全て着替える。着替えはザックの中に入っているが、完全防水ザックでよかったと心底思う。
携帯食を食べ、水を飲み、心を落ち着けてから、崖を登り始める。これで黒部川や餓鬼谷とはお別れだ。心残りがないと言えば嘘になるが、川に流されたにもかかわらず無事だった喜びの方が大きい。
1時間ほどかけて、黒部川から崖上の水平歩道へ戻ってくる。体のあちこちが痛むが、ルートが分かっている分、下りより楽だった。ここまで来れば、後は整備された登山道を欅平へ歩くだけだ。一安心。
ただ、体力の消耗が激しい上に、黒部川で流されたときにメガネを紛失したので暗くなると厄介な気がする。何せ、これから歩くのは、断崖絶壁の上に作られた水平歩道だ。道を踏み外したらシャレにならない。
黒部川の餓鬼谷出合から水平歩道に戻ったのは13時10分だった。通常であれば2時間ほどで欅平に到着できるはずだが、川に流されたときに剥がれた右足親指の爪の状態が心配だ。
13時34分、オリオ谷のトンネルをくぐり抜ける。オリオ谷の滝が美しい。14時31分、対岸に奥鐘山西壁が見えてきた。クライマーにとって憧れの壁らしく、異様な迫力がある。
ところが、ここら辺りから歩くペースが極端に落ちた。右足を引きずるようにして歩かなければならず、体力的にも非常に辛くなってきた。
気力を振り絞って歩いた末に、欅平には16時51分に着いた。ようやく人里に戻ってきたのだ。イエーイ!
今夜の宿は祖母谷温泉と決めていた。欅平のすぐ近くに宿はあるが、金曜日ということもあり混んでいそうだったし、何より素敵な温泉につかりたい。
ボロボロになった体に鞭を打って、祖母谷温泉を目指す。宿に到着したのは17時35分。欅平から40分以上かかったことになる。
宿の人に確認すると、部屋は空いていた。これで今夜の宿を無事確保できた。ヒャッホーイ!
取り合えず露天風呂へ向かう。早く温泉に入りたい。
ところが、田植足袋を脱ぐと、右足親指が酷い状態になっていた。剥がれた爪の部分に、無数の小石がめり込んでいたのだ。登山道を歩く途中、砂利が入り込んだらしい。
露天風呂につかりつつ、痛みを我慢しながら、小石を一つ一つ取り除いていく。ある程度取り除いたが、これ以上は道具を使わないと難しそうだったので諦める。
それにしても温泉が気持ちいい。ボロ雑巾のように疲れ切った体にとっては至福の湯である。
夕食後、右足親指の小石除去作業に再び取り掛かる。今度は手持ちのナイフを使った。かなり内部まで小石が食い込んでいるので、ナイフで肉をえぐるようにして取り除く。気が狂いそうなくらい痛かったが、時間をかけて全ての小石を取り除いた。
右足親指に食い込んでいた小石がなくなったことだし、後は祖母谷温泉で温泉療養すれば治るはずだ。(笑)
= 9月25日:四日目 =
翌朝も祖母谷温泉の露天風呂を堪能した。もちろん温泉療養を兼ねてだ。露天にはのんびりした空気が流れているが、昨日までの激しい旅が嘘のようだ。
9時過ぎに祖母谷温泉を出発した。相変わらず右足は痛いが、サンダルに履き替えたこともあり、昨日に比べると楽になったような気がする。
欅平から10時過ぎのトロッコ電車に乗り込み、宇奈月を目指す。すぐそばを流れる黒部川を眺めながら贅沢な時間が過ぎていく。後は東京へ戻るだけだ。
ところで、あまりにもハードな旅だったため、東京に戻ってからしばらくは呆然と過ごした。何せ、黒部川を渡渉時に流され、メガネを失くし、右足親指の爪がベロリと剥がれ、3週間ほど満足に歩くこともままならない状態が続いたのだ。
しかも、この旅行記を書き上げるには、それから10年以上の年月が必要だった(*2017年8月31日に執筆)。それぐらいインパクトの強い旅だった。
それにしても、生きていてよかった。
-2004.09.24-
【コースタイム】
◆9月24日:三日目
[歩8h00].仙人温泉0545-0744阿曽原温泉0818-0905水平歩道(「餓鬼谷出合」看板)-1043黒部川左岸-1108餓鬼谷出合の滝-1209黒部川左岸-1310水平歩道(「餓鬼谷出合」看板)-1651欅平-1735祖母谷温泉(泊)