【野生の旅】 ■奈良県 大峯奥駆早駆1 →[熊野古道 大峯奥駆・雲取越え]
= 4月26日 =
仕事が終った後、大阪行きの夜行バスに乗り込む。松江からのバスは満席だったので、米子発の便を選択。ここ数日旅の準備に追われ寝不足だったが、やはりバスの座席では熟睡できず、一晩中うつらうつらしていた。
= 4月27日:一日目 =
早朝4時50分、なんばのOCATにバスは到着した。JRで天王寺まで移動し、近鉄あべの橋から始発電車で終点の吉野へと向う。駅を出た後、公衆トイレで山登り装備に着替え、駅前の茶屋で吉野名物?の柿の葉寿司を購入する。軽くウォーミングアップし、ケーブルカーを横目にテコテコ歩き始める。和歌山の那智海岸まで続く(予定の)長大な歩き旅の幕開けだ。
まずは吉野の中心に位置する金峰山寺(蔵王堂)に立ち寄る。国宝に指定されているだけあって、風格が感じられた。
この日は、晴れていたこともあり快調に飛ばし、一気に高度を稼ぐ。20km以上歩いたはずだ。女人禁制の大峯山寺・山上ヶ岳(1719m)を越え、午後4時20分、ほぼ予定通り目的地の小笹ノ宿へ到着した。
水場で狂ったように水を飲み、疲れとノドの渇きを癒す。標高1700m近くあり平地より温度が約10℃低いが、しっかりした造りの無人小屋に泊れたので、寒さを感じることなくタップリ眠ることができた。
= 4月28日:二日目 =
朝4時に目覚める。小屋の外に出てみると、ガスで視界がきかない。出発は日の出以降にしようと、再び眠りにつく。午前5時30分に小笹ノ宿を出発。水場でたっぷり飲んだ後、1.5リットル容器に水を詰め込む。今日のルートには水場があまりないのがやや気掛かりだ。
相変わらずガスで視界がきかない中、慎重に進む。6時20分、小普賢岳に至り一息つく。すぐ先には大普賢岳(1779m)らしき大きな山が薄らと見える。「あそこに登るのか」と溜息をつくが、しっかりと巻き道があり、楽することができた。ピークハンターでない私にとっては、とてもありがたい。
しばらくすると露骨に道が悪くなった。国見岳(1655m)・七曜岳(1584m)と、岩場が続く。歩くスピードが落ちるが、リスクを犯す訳にはいかない。ガスのせいで谷底の深さは分からないが、おそらく相当なものだろう。
ゆっくりと鎖場を進む。
悪路を越えると行者還岳(1546m)が見えてきた。この付近に水場があるはずなので、注意深く進む。ところが、行者還岳小屋を過ぎても水場を発見することができなかった。この見落としが、後々重大な過ちを引き起こす一因となる。
この後は尾根沿いをアップダウンしながらの快適な山歩きが続く。これで晴れ渡っていたら最高なんだろうな、とボヤいてみるが、雨が降らないだけマシだと思い直す。未だ蕾のままのお花畑を横目に見ながら南下する。
9時41分、一の峠分岐。避難小屋らしきものがあった。ここで進路を変え、西へと向う。序々に登山客の数が多くなってきた。どうやら百名山のコースに入ったらしい。
ここまでは順調に進んでいたが、弥山(1895m。「みせん」と呼ぶ)が近付くにつれて傾斜が急になってくる。次第に足取りも重くなり、一休みする間隔が短くなる。ダラダラと急傾斜を登るのは、本当に辛い。
死にそうな思いをしながら登っていくと弥山小屋が見えてきた。今の時期、大峯山脈で唯一営業する有人山小屋だ。ここで小休止する。小屋番の方に頼んで板チョコ300円をわけてもらう。お腹が空いていたので、貪るように食べる。事前情報では水もわけてもらえるということだったが、それはNG。だが、30分ほど歩くと水場があるとの情報を得る。
だが、ここで水場の詳しい場所を確認しなかったのが、致命的な失敗となる。
時計を見ると12時を回っている。今日の予定は、釈迦ヶ岳(1799m)を越えて、深仙ノ宿に辿り着くことだが、ちょっと難しくなってきた。だが、ここから先は釈迦ヶ岳まで困難な歩きがなさそうなので、日没までに到着することは十分に可能だと思った。気合いを入れ直し、弥山小屋を後にする。ここからは再び進路を南にとる。
間もなく百名山の碑が立つ八剣山(1914m。八経ヶ岳とも呼ぶ)に到着。たくさんの人が休憩している。そのうちの一人に記念撮影をお願いしたが、残念ながら逆光だったので出来損ないの写真になってしまった。(ガク)
そろそろ水場があるだろうと思いつつ進むが全く気配を感じられない。もしかしたら水場は別の登山コース上にあるのでは、と思っても引き返す気にはなれず、まあ、深仙ノ宿に着けば水場があるんだしと、そのまま前進する。
水の残りが少なくなってきた点を除けば、不安なことはない。ガスで視界が悪いのは相変わらずだが、天候が崩れるような感じでもない。景色を楽しめないのは残念だが、日射しがない分、汗をかかないので、今の私にとっては好都合だ。
先ほどまでの賑わいが嘘のように、人影が極端に少なくなった。道も若干荒れ始めた。だが、比較的緩やかなアップダウンが尾根沿いに続く上に、人がいないので、歩くのがとても楽しい。今日は既に8時間以上歩いているが、さほど疲労も感じない。
舟ノ垰を越えてしばらくした頃、楊子ヶ宿に到着する。ここには立派な無人小屋があった。15時を少し過ぎたところだ。一瞬ここに泊ろうかと考えるが、誰もいなかったし、近くに水場がなさそうだったので先を急ぐ。
仏生岳(1804m)を大きく巻いた後、孔雀岳(1779m)を通過する。そして、16時36分、釈迦ヶ岳(1799m)が見えだした。圧倒的な存在感で聳えたっている。「どうやって登るんだろう?」と疑問に思うぐらい荒々しい。しばし呆然と山容を眺める。
同時に、ここまで来れば大丈夫だと思った。日没は18時30分なので、2時間近く余裕がある。釈迦ヶ岳から水場のある宿泊地の深仙ノ宿までは、おそらく30分も下れば辿り着くだろう。釈迦ヶ岳の頂上まで、どんなに困難な登りでもここからなら1時間もあれば十分なはず。
だが、その考えは甘かった。
やがてコースが曖昧になった。それまで怪し気な分岐では、標識や目印のリボンがあったのだが、見当たらない。地図を見ると、登山道は尾根の向って右側につけられているようだ。右の分岐を選択し、踏み跡を辿っていく。
おそらく手持の水がほとんどないという焦りがあったのだろう。もちろん日没間近で、早く宿泊地に辿り着きたいという思いもある。何となく登山道から外れているような気がしてきた。
ところが、「登山道は尾根の向って右側」という考えに引きずられてしまい、先に進むのをやめない。ガレガレの岩場を無理矢理突き進む。道を間違えたと完全に了解した時点では、来た道を引き返すことができなくなっていた。
さて困った。まずは登山道に戻らなければならない。取り合えず降下を繰り返しながら、ルートを探る。
周囲は急斜面の岩場なので、進むのにおそろしく神経を使う。動くたびに、ガラガラと大小様々な岩が谷底へと落ちていく。必死になって前進していると、修験道の旗らしくものが一瞬見えた。夢中になって、その方向へ移動する。だが、そこには人造物は何もなかった。若干幻覚が入り出したらしい(寒)。
そのうち登山道らしき尾根が見えてきた。だが数十m岩場の急斜面を登らなければならない。最後の力を振り絞り、尾根を目指す。
なんとか尾根に辿り着いたのだが、残念ながら登山道ではなかったらしい。周囲は薄暗くなってきた。ガスもある。見通しが極度に悪くなってきている。尾根越しに反対側の斜面を見ると、下方に登山道らしき踏み跡が見えたような気がした。リスクはあったが、再び下降を始める。
これが最後の過ちとなる。(あーあ)
もちろんそこには登山道などなかった。単なる私の思い込みだった。さすがにガックリくる。またしても無駄に体力を消耗してしまった。ノドの乾きがさらに激しくなった。18時を過ぎていた。ここでビバークする覚悟を決め、比較的平坦な場所を探し始める。こんな急斜面では一夜を過ごしたくない。
幸いにも少し登るとビバークにふさわしいポイントを見つけることができた。テントもツェルトもタープもないが、オールウエザーブランケットとゴア製のシェラフカバーがあるから、寒さと雨露をしのぐことはできるだろう。
それより問題は水だ。200mlもない。ノドが焼け付くように渇いているので、少しだけ水を口に含む。食料やコンロはあるのだが、水が足りない以上、使うことができない。十分にエネルギー補給をすることができないが仕方あるまい。あまり食料を口にすると、ノドが渇くためだ。景気付けに(世界最強の酒である)スピリタスを口に含んだところ、物凄くノドが渇いた(悲)。
18時30分、日没と共に全て(といっても少ないが)の服を着込み、シェラフにくるまった。宿泊地&水場を目前にして、釈迦ヶ岳の手前のこんな場所でビバークすることになるなんて、旅というものは実に面白い。と思いつつも、これって一種の「遭難」なのかな、と呟いてしまった(溜息)。
-2002.04.28-
【コースタイム】
◆4月27日:一日目
[歩8h45].近鉄吉野駅7:35-金峰山寺(蔵王堂)-金峯神社-四寸岩山-11:13足摺の宿跡-大天井ヶ岳-14:50洞辻茶屋-大峯山寺-16:20小笹ノ宿(泊)
◆4月28日:二日目
[歩12h40].小笹ノ宿5:30-6:20小普賢岳-大普賢岳-国見岳-七曜岳-行者還岳-9:41一の峠分岐-弥山小屋-八剣山(八経ヶ岳)-明星ヶ岳-13:30舟ノ垰-楊子ヶ宿-仏生岳-16:05孔雀覗-孔雀岳-16:36椽の鼻-(※道に迷う)-18:10釈迦ガ岳手前のガレ場(泊)