【野生の旅】 ■熊野古道 大峯奥駆・雲取越え
●熊野古道踏破の記録
[※大峯奥駆開始]
・1日目(2002年4月27日) 近鉄吉野駅7:35-四寸岩山-山上ヶ岳-16:20小笹ノ宿(泊)
・2日目(2002年4月28日) 小笹ノ宿5:30-行者還岳-弥山-仏生岳-18:10釈迦ガ岳手前(野宿)
・3日目(2002年4月29日) 釈迦ガ岳手前5:30-釈迦ヶ岳-平治の宿-16:55行仙ノ宿(泊)
・4日目(2002年4月30日) 行仙ノ宿5:30-笠捨山-玉置山-20:30熊野本宮付近(野宿)
[※大峯奥駆終了]
[※雲取越え開始]
・5日目(2002年5月01日) 熊野本宮付近5:30-那智大社-21:20那智の某所(野宿)
・6日目(2002年5月02日) 那智の某所-那智の海岸
[※雲取越え終了]
▼熊野古道踏破MAP(※マル数字は泊場)※白地図利用「chiri.com 地理情報開発」
【特選の旅】
→◇大峯奥駆早駆1(2002年4月27日〜28日)
→◇大峯奥駆早駆2(2002年4月29日)
【野湯巡り】
→◇紀州の湯(2002年5月2日〜3日)
●熊野古道 熊野詣のための中世における参詣道。すなわち聖地である熊野三山への長大な巡礼の道である。熊野詣が盛んになる平安時代後期(西暦1100年前後)から、室町時代末期(西暦1600年前後)の間に成立したらしい。 途中、海や川を船で行き来することもあったが、徒歩で移動することがメインであった。以下、歩いて熊野本宮を目指す場合の代表的なルートを掲げる。 ◇パターン1 紀伊路から中辺路を通り、熊野本宮を目指す。 ◇パターン2 紀伊路から大辺路、雲取越えを通り、熊野本宮を目指す。 ◇パターン3 伊勢路から雲取越えを通り、熊野本宮を目指す。 ◇パターン4 小辺路で、高野山から熊野本宮を目指す。 ◇パターン5 大峯奥駈道で、吉野山から熊野本宮を目指す。 ●熊野古道の概要 (1) 紀伊路(大阪→和歌山市→田辺市) (2) 中辺路(田辺市→熊野本宮) (3) 大辺路(田辺市→那智勝浦) (4) 雲取越え(那智勝浦→熊野本宮) (5) 伊勢路(伊勢市→那智勝浦) (6) 小辺路(高野山→熊野本宮) (7) 大峯奥駈道(吉野山→熊野本宮) ※参考文献:「熊野古道」小山靖憲 岩波新書 \700 ISBN4-00-430665-5
●大峯奥駈道 吉野山から熊野まで山上ヶ岳、弥山、八経ヶ岳など二千メートル近い山々の尾根を這うように続いている。修験道の根本道場と言われ紀伊山地の中でももっとも深い山路である。この道では古来より奥駈といわれる修行が行われている。幾日もの間、早朝より深夜まで谷を渡り、崖をよじ登り、歩き続ける修験道の中でも、もっとも厳しい修行として有名である。 ●世界遺産への動き 現在、「紀伊山地の霊場と参詣道」の文化遺産や豊かな自然環境を世界遺産に登録しよう、という動きがあります。特に吉野では、あちこちにその旨の推進ポスターが貼ってありました。奈良県、和歌山県、三重県の三県にまたがるため障害は多いと思いますが、2001年4月に世界遺産の暫定リストに追加されています。 ところで大峯奥駈道を歩いた限りでは、女人禁制の山上ヶ岳を筆頭に、クリアしなければならない課題が山積しているように見受けられました。観光資源として活用すること自体に反対しませんが、そのために今まで培ってきた素晴らしいものを失ってはならないと思います。
-2002.05.03-